8年前のあの日が甦った・・・
電話の声は、こう言った・・・
「会津から東京行のバスが、1台だけでるのを見つけました。先生の、今の状態も承知しています。ですが、なんとか、そのバスに乗り、羽田から福岡まで飛んでいただけませんか?多くの方が、楽しみにして待っているんです」
時は、2011年3月21日・・
あの、東日本に壊滅的な打撃をあたえた東日本大震災からまだ10日しかたっていない日だった。
私は、福岡にある公益社団法人「福岡貿易会」様からの依頼で3月22日に講演を行うことになっていた。
しかし、我が福島県も震災後の大混乱の渦中にあった。
鉄道、高速道路、空港等すべてが、復旧の見通しがつかない状態だった。余震におびえ、絶望のどん底にいた。私も、今後なにが起きるのか予測のつかない不安の真っただ中にいた。しかも、会津から出れない状態だった。
そして、福岡貿易会様に、電話をしたのだ。
「今回の講演なのですが、今、現在、会津の地を出ることさえ叶いません。前日キャンセルと言う事になってしまい、ご迷惑をおかけするのは、重々承知しているのですが、明日の講演会は、延期とさせていただけませんか」
苦渋の選択だった。
私は、過去も今までも一度も、講演、セミナー、コンサルに穴をあけたことがない。
しかし、この時は・・・・
輸入ビジネスの大須賀祐よりありったけの愛と感謝を込めてMarch・・!
いかがお過ごしですか?
いよいよ桜が満開ですね~ まさに日本人でよかったと思える時期ですね・・
「心から、お見舞い申し上げます。そうですよね・・・今の、福島の事を考えると、来てくれなどと、とても言える状況ではないですよね。交通もすべてだめなのですね。了解しました。しかし、とっても残念です。」
その時、私を招聘くださった福岡貿易会のトレードアシスタントの柴田女史は、声を落としてそういった・・・心が痛んだ・・・
柴田女史は、長年私のメルマガをずっと愛読くださっていていつかは、うちに来ていただきたい!そして満を持して今回私を呼んでくださったという経過を私は、知っていたからだ・・
しかし、現実的に会津をでるすべがないのだ・・
しかも、さすがの私も、その気分ではないのも事実だった・・
そして、冒頭の話になり、女史の熱意によって福岡に向かった・・
ついてみると、すべての灯が消えた東日本とは、違い福岡は、変わらずその繁栄を誇っていた。
同じ、日本でこんなに違うのかと思った。
そして、会場に入ると100人を超える方が、熱狂的に迎えてくれたのだ・・
その時の、熱狂が私にどれだけの元気をくれたことか・・・
だから今回、依頼を頂いたとき、他の予定をキャンセルしても行かなければならないと思った。行って直接あの時のお礼がしたいと思った。
2009年に実業をやめ、アドバイザー業に特化したばかりの、私の将来への不安をかき消してくださった、福岡の皆様に心から感謝を捧げたいと思ったのだ。
そして、2019年3月25日
8年ぶりに訪れた福岡は、また私に力をくれた・・
今回、主催してくださった「福岡貿易会」の皆様、講演に来てくださった方がた、とりわけ2011年に続いてまた講演に駆けつけてくださった方がたに心から心から感謝申し上げます。
あの時の、ご依頼となにがなんでも来てほしいという福岡の皆様の情熱がなければ、今の私はなかったでしょう・・・
素敵な1日を・・!
ありったけのありったけの感謝をこめて・・!